ビジネスパーソンにとって「積読」は罪なのか?

~ウンベルト・エーコの「アンチライブラリー」に学ぶ、読まない本の価値~

あなたの部屋を見渡してみてください。

机の端や、ベッドの脇、あるいは本棚の奥に、「買ったはいいものの、まだ読んでいない本」「先輩や上司からもらったのに、少ししか読んでない本」が積み上がっていませんか?

私たちは、この状態を「積読(つんどく)」と呼びます。

そして多くの場合、積読の山を見るたびに、ちくりとした罪悪感に苛まれます。

「また買っちゃったのに、全然読んでいない」「時間がないのに無駄遣いをしてしまった」「自分はなんて怠惰で、活字に向き合う根気がないのだろう」と。

読書家であればあるほど、積まれた本は「果たせなかった約束」のように自分を責め立ててきます。

次に書店へ行き、運命の一冊に出会ったとしても、「まずは家にある未読の本を消化してからにしよう」と、自制心を働かせて本棚に戻してしまうことも多いでしょう。

しかし、もしその「積読への罪悪感」が、まったくの的外れだとしたらどうでしょうか。

もし、「読んだ本よりも、読んでいない本のほうが、あなたの人生において遥かに価値がある」と言われたら?

今回は、世界的な知の巨人が愛した「アンチライブラリー(反・図書館)」という概念を通して、私たちが積読を誇るべき理由についてお話しします。

イタリアが生んだ偉大な哲学者であり、記号学者であり、世界的ベストセラー『薔薇の名前』の著者でもあるウンベルト・エーコ。

彼は「知の巨人」と呼ぶにふさわしい人物ですが、同時に類まれなる愛書家・蔵書家でもありました。

彼の自宅の書斎には、なんと3万冊を超える本が収蔵されていました。

壁という壁を本が埋め尽くし、迷宮のようになったその書斎に招かれた客人は、誰もが圧倒され、目を丸くして、必ずエーコにこう尋ねたそうです。

「エーコ先生、なんて素晴らしい書斎だ! あなたは、この本を全部読まれたのですか?」

ベストセラー『ブラックスワン』の著者であり、思想家・投資家であるナシム・ニコラス・タレブは、自著の中でこのエピソードを取り上げ、「客のこの質問は、本棚の本当の価値をまったく理解していない愚かな質問だ」と一刀両断しています。

なぜなら、訪問者たちは本棚を「これまでに読んだ本を見せびらかすためのトロフィー」だと勘違いしているからです。

彼らは「これだけの本を読破したなんて、あなたはなんて賢いんだ」と褒めているつもりなのです。

しかし、エーコ自身は、自分の本棚をそのような「過去の栄光の展示室」だとは少しも思っていませんでした。

タレブは、エーコの書斎の真の価値についてこう説き、ひとつの新しい言葉を生み出しました。

それが「アンチライブラリー(Antilibrary=反・図書館)」です。

タレブの主張は非常に明快かつ、逆説的です。

「読まれた本は、読まれていない本に比べて、はるかに価値が低い」

普通に考えれば、「読んで知識を得た本」のほうが価値があり、「読んでいない本」はただの紙の束にすぎません。

しかし、知の最前線を走る彼らの感覚は真逆です。

本棚とは、自分のエゴを満たすための飾りではありません。
それは、これからの人生で直面するであろう未知の脅威や、新しい疑問に対処するための「研究ツール」であり「インフラ」なのです。

一度読んで、中身を知ってしまった本は、すでに「自分の知識の一部」になっています。つまり、現在の自分の枠内に収まってしまった既知の情報です。

一方で、まだ読んでいない本には、「自分がまだ知らない世界」「まだ手にしていない視点」「これから必要になるかもしれない叡智」が手付かずのまま眠っています。

人生という航海において、すでに通り過ぎた海の海図(読んだ本)を何枚壁に飾っても、明日の嵐を乗り越える役には立ちません。

本当に価値があるのは、まだ見ぬ海域の海図(未読の本)の束を、いつでも引き出しから取り出せるように手元に置いておくことなのです。

では、なぜ「読んでいない本」をわざわざ目につく場所に並べておく必要があるのでしょうか? 必要な時に買えばいいではないか、と思うかもしれません。

未読の本がずらりと並んだアンチライブラリーには、実はとても重要な心理的効果があります。

それは、「自分の無知を常に視覚化してくれる」ということです。

人間は、少しばかりの知識を手に入れると、すぐに「自分は世界のことをよく知っている」と傲慢になってしまいます。

これを心理学ではダニング=クルーガー効果(能力の低い人ほど自分の能力を過大評価する現象)などと呼びますが、この知的傲慢さこそが、人間の成長を止め、取り返しのつかない失敗を招く最大の原因です。

しかし、部屋に3万冊の「未読の本」があればどうでしょう。

毎日その本棚の前に立つたびに、こう思い知らされるはずです。

「世界には、私が知らない哲学がある」

「私がまだ理解していない科学の歴史がある」

「私が経験したことのない感情を描いた小説がある」

「私など、この世界のほんの数パーセントしか理解していないちっぽけな存在だ」

アンチライブラリーは、私たちに「知的謙虚さ」を保たせてくれる最強の装置です。

ソクラテスが「無知の知(自分は何も知らないということを知っている状態)」を説いたように、真の知性とは「どれだけ多くのことを知っているか」ではなく、「自分がどれだけ多くのことを知らないかを、どれだけ強烈に自覚しているか」に宿ります。

あなたの部屋に積み上がっている未読の本は、あなたを責めているのではありません。

「世界はもっと広くて、もっと面白い秘密に満ちているよ。焦らずに、いつでもここへおいで」と、謙虚さと好奇心を与え続けてくれているのです。

「わからないことがあれば、本を買って積んでおかなくても、その時にネットで検索すればいい」という反論があるかもしれません。

しかし、アンチライブラリーの価値は、インターネット検索では決して代替できません。

なぜなら、インターネット検索は「自分がすでに疑問に思っていること(知っている無知)」の答えしか探せないからです。

検索窓には、自分が言語化できるキーワードしか打ち込むことができません。

しかし、人生で本当に私たちを救ってくれるのは、「自分が何を分かっていないかさえ分かっていなかったこと(未知の無知)」に気づかせてくれる知識です。

ふと本棚を眺めたとき。

1年前に「なんだか面白そう」と直感だけで買って、そのまま放置していた本の背表紙が、突然目に飛び込んでくることがあります。

そして、今の自分が抱えている深い悩み――検索窓には決して打ち込めないような複雑で言語化できない苦悩――に対する完璧な答えが、その未読の本の中に書かれていることに気づくのです。

アンチライブラリーは、過去の自分が、未来の自分へ向けて仕掛けた「知のタイムカプセル」です。

「今の私には難しくて読めないけれど、いつか絶対に必要になる気がする」

その直感に従って本を買い、身の回りに置いておくこと。それは、自分の人生に強力な安全網(セーフティネット)を張る行為に他なりません。

もし今度、あなたの部屋を訪れた友人が、積み上げられた本の山を見て「これ、全部読んだの?」と聞いてきたら。

ウンベルト・エーコのように、あるいはナシム・ニコラス・タレブのように、少しだけ胸を張って、こう答えてみてください。

「まさか! 読んだ本ばかり並べておくなんて、ただの自己満足じゃないか。ここは僕の『アンチライブラリー』だよ。僕がまだ知らない世界が、こんなにもたくさんあるっていう証拠さ」(さすがにこんな風に言うのは逆にかっこ悪いですが笑)

ただ積読は、怠惰の証明ではありません。

それはあなたの「知的好奇心の広さ」であり、「未知の世界へのリスペクト」の結晶です。

本棚にある読んだ本の数は、あなたの「過去」を表しています。

しかし、本棚にある未読の本の数は、あなたの「未来の可能性」そのものです。

次に書店に足を運んだとき、「まだ家に読んでいない本があるから」という理由で、運命の一冊を買うのを我慢する必要はありません。

直感が「これを手元に置いておきたい」と告げたなら、迷わず連れて帰りましょう。

そして、すぐには読めなくても、あなたのアンチライブラリーの誇り高き一部として積み上げてください。

いつか必ず、その本が開かれるべき完璧なタイミングが訪れます。

それまでの間、その本はただそこにあるだけで、あなたの知性を磨き、世界を広げるための重力として働き続けてくれるはずです。

■ 百冊堂からのメッセージ


「読まなければいけない」という呪縛から解放されたとき、本との付き合い方はもっと自由で、もっと愛おしいものに変わります。

百冊堂には、あなたの「アンチライブラリー」に加えたくなるような、未知の喜びに満ちた本たちがたくさん待っています。

「今は読まないかもしれないけれど、いつかの自分のために買っておこう」。

そんな、未来の自分へのプレゼントを探しにきませんか?