その本は、あなたの足を切り落とそうとしていないか?

~ギリシャ神話「プロクルステスの寝台」に学ぶ、不幸になる読書の罠~

あなたは、本を読むたびに苦しくなっていませんか?

「成功者の習慣」を真似しようとして挫折したり、「理想のリーダー像」と今の自分を比べて落ち込んだり。

本来、人生を豊かにするために手に取ったはずの一冊が、いつの間にかあなたを責め立てる「呪いの書」に変わっているとしたら、それはとても危険な兆候です。

ギリシャ神話には、そんな現代人の病理を予言していたかのような、恐ろしいエピソードがあります。

それが「プロクルステスの寝台」です。

今回は、この血なまぐさい神話を手がかりに、私たちが陥りがちな「自分を殺す読書」と、そこから抜け出すための知恵についてお話しします。

アテナイ郊外の丘に、プロクルステス(「伸ばす者」の意)という名の強盗が住んでいました。

彼は通りがかる旅人を親切そうに家に招き入れ、こう言うのです。

「旅でお疲れでしょう。我が家には、どんな人間にもぴったり合う、魔法のような素晴らしい鉄の寝台があります。ぜひ休んでいってください」

しかし、それは罠でした。

旅人が寝台に横たわると、プロクルステスは恐ろしい本性を現します。

もし、旅人の背が寝台より短かったら?

彼は旅人の手足を縛り、寝台の長さと同じになるまで、無理やり体を引っ張って伸ばしました(あるいは、金槌で叩いて伸ばしたとも言われています)。

逆に、旅人の背が寝台より長かったら?

彼は寝台からはみ出した旅人の足を、無慈悲にも斧で切り落としました

「ほら、これで寝台にぴったりだ」

彼はそう言って、すべての旅人を殺害していたのです。

この狂気は、英雄テーセウスが彼を同じ方法で退治するまで続きました。

この「プロクルステスの寝台」という言葉は、現代において「あらかじめ決められた基準や枠組みに、無理やり現実や他人を当てはめようとすること」の比喩として使われています。

さて、ここからが本題です。

私たちは笑うかもしれませんが、現代の書店やビジネスの現場には、この「プロクルステスの寝台」が溢れかえってはいないでしょうか?

書店に行けば、「成功」や「幸福」のためのメソッドが山のように売られています。

・「毎朝4時に起きなさい」
・「靴を揃えなさい」
・「嫌なことでもポジティブに捉えなさい」
・「論理的に話しなさい」

これらの本は、著者が自分自身の体験に基づいて作り上げた、著者にとっては快適な「寝台」です。

しかし、読者である私たちの身長(性格、環境、才能、価値観)は、一人ひとり全く違います。

それにもかかわらず、私たちは真面目であるがゆえに、無理やりその寝台に寝ようとしてしまいます。

【体が足りない場合:無理な引き伸ばし】


本来は夜型の人間が、無理やり「朝4時起き」の寝台に自分を合わせようとする。睡眠不足で体を壊し、日中のパフォーマンスが落ちているのに、「起きられない自分はダメだ」と自分を責め、無理やり体を引っ張る。

これはプロクルステスに手足を引かれているのと同じ拷問です。

【体が長すぎる場合:個性の切断】


本来は感受性が豊かで、情緒的な表現が得意な人が、「ビジネスでは論理(ロジック)こそが正義だ」という寝台に寝かされる。

「感情を出すな」「結論から言え」と矯正され、自分のはみ出している部分(本来の良さである共感性や優しさ)を、斧で切り落としてしまう。

結果、その人は「仕事のできるロボット」にはなれるかもしれませんが、人間としての魅力や、その人にしか生み出せないクリエイティビティは死んでしまいます。

本に書かれている「正解」に合わせるために、自分の心や体を痛めつける。

これこそが、現代における「読書による自傷行為」です。

プロクルステスは強盗でしたが、現代において私たちを寝台に縛り付けているのは誰でしょうか?

それは他ならぬ、私たち自身です。

私たちは「不安」なのです。

自分の身長(個性)が、社会的に正しいサイズなのかどうかが分からない。だから、「これが標準規格(スタンダード)ですよ」と提示された鉄の寝台があると、そこに収まることで安心したくなるのです。

「この本に書いてある通りに生きていれば、間違いないはずだ」

そう信じて、自分の足を切り落とす。なんて痛ましく、悲しい安心感でしょうか。

しかし、歴史を振り返ってみてください。

スティーブ・ジョブズも、アインシュタインも、坂本龍馬も、誰一人として「既存の寝台」にぴったり収まった人はいません。彼らは全員、寝台からはみ出し、時には寝台を壊して、自分だけの椅子を作った人たちです。

はみ出していること。サイズが合わないこと。

それは「間違い」ではなく、あなたの「才能」の輪郭そのものです。

では、私たちはどうやってこの恐ろしい屋敷から脱出すればいいのでしょうか。

答えは簡単です。物語の結末と同じく、私たち自身が英雄テーセウスになればいいのです。

テーセウスは、プロクルステスの寝台に寝かされることを拒否しました。そして逆に、プロクルステスを寝台に寝かせ、その首をはねました。

これを読書に置き換えるなら、「主従関係の逆転」を起こすことです。

今のあなたは、「本(ノウハウ)=主人」で「自分=従者」になっています。本に合わせて自分が変わろうとしています。

これを、「自分=主人」で「本(ノウハウ)=素材・道具」に変えるのです。

「この本は、今の自分に合うか?」

と常に問いかけてください。

⚫︎読んでみて「苦しい」「違和感がある」と感じたら、それはあなたの背丈に合っていない寝台です。迷わずその本を閉じてください。足を切り落としてまで読む価値のある本など、この世に一冊もありません。

⚫︎逆に、「この部分だけは使える」「この考え方は楽になる」というパーツがあれば、そこだけを切り取って持ち帰ってください。

100冊の本があれば、100通りの寝台があります。

Aという本からは「枕」を、Bという本からは「マットレス」を、Cという本からは「シーツ」をもらってくる。

そうやって、自分自身の体型にぴったり合う、世界に一つだけのオーダーメイドの寝台(生き方)を作り上げること。

それこそが、本来の「知的な編集作業」であり、読書の醍醐味ではないでしょうか。

ただし、これは「都合の良いことだけ受け入れろ」「頑固になれ」というわけではありません。あくまで、自分の個性や才能を殺すな、ということです。

もし今、あなたが何かの本を読んで、「自分はこれにはなれない」と落ち込んでいるなら、こう考えてみてください。

「ああ、よかった。私はプロクルステスの寝台には収まらない、規格外の大物だったんだ」と。

読書は、あなたを何かの型にはめるための鋳型(いがた)ではありません。

読書は、あなたがあなた自身の輪郭をはっきりと知り、その「はみ出した部分」をさらに伸ばしていくための栄養分です。

誰かが決めた「正解」のベッドで、窮屈な思いをして眠るのはもう終わりにしましょう。

足を切り落とす必要はありません。無理に背伸びをする必要もありません。

あなたは、あなたのままで、もっと自由になれる。

そのためのヒントを探しに、今度は、斧ではなく、自分だけの設計図を片手に持って、また新しいページをめくってみてください。

その設計図を手に入れるには、多読が一番なのではないかと思います。人生のある期間、とにかく本を読む、とにかく知識やアイデアに触れる。それによってこそ「設計図」が手に入るのではないかと、考えるようになりました。

あなたのビジネス人生の一歩をお手伝いさせていただける日を楽しみにしています。