~10年後、あなたの景色は「フルハイビジョン」か、それとも「モザイク」か~
もしも、パラレルワールドが存在して、「本を読み続けたあなた」と「本を全く読まなかったあなた」が同時に人生を歩んだとしたら。
その二人の人生には、一体どのような違いが生まれるのでしょうか。
年収や社会的地位? もちろん、それも変わるかもしれません。
しかし、もっと根本的で、もっと残酷な「差」が、静かに、しかし確実に開いてくのではないか、今回はそんな話を書こうかと思い、手を動かしています。
さて、どんな差がでるのか、それは、「世界がどう見えているか」という差です。
多くの人は、読書を「知識を増やす行為」だと思っています。しかし、本質はそこではありません。読書とは、「人生というレンズの度数を合わせる行為」です。
本を読まない人生は、ピントの合わないカメラで世界を撮り続けるようなものです。
一方、本を読む人生とは、高解像度のレンズで、世界の美しさや残酷さを鮮明に捉え続ける旅なのではないでしょうか。
具体的に、その差はどこに現れるのか。沢山ある中から今回は、「語彙力」と「判断力」という2つの視点から、その分岐点を見ていきましょう。
1. 語彙力の差は、「感情の解像度」の差になる
「語彙力なんて、難しい言葉を知っているかどうかの違いでしょう?」
そう思う人は、語彙力の恐ろしさをまだ知りません。
言葉は、思考の「枠」です。私たちは言葉にできないことを、深く考えることも、正確に感じることもできません。
【読まない人生:モヤモヤという霧の中】
本を読まない人の世界では、感情のパレットにある絵の具が数色しかありません。「ヤバい」「うざい」「すごい」「エモい」。それも立派な言葉ではありますが、状況に対する言葉として物足りないと感じます。
例えば、夕暮れの空を見て感動しても「超キレイ」で終わり。仕事で複雑な不満を抱えても「なんかムカつく」で終わり。
このように、自分の心の中で起きている繊細な動きに、名前をつけることができないのです。名前のない感情は、正体不明のストレス(モヤモヤ)となって心に蓄積します。
「なぜ辛いのかわからない」「何を伝えたいのかわからない」。
この状態が続くと、人は孤独になり、自分自身さえも理解できなくなってしまうと危惧しています。
【読む人生:自分の心を飼いならす】
一方、本を読む人は、数千、数万の言葉という絵の具を持っています。
「ムカつく」という感情一つとっても、それが「嫉妬」なのか、「義憤」なのか、「焦燥」なのか、「侮蔑」なのかを区別できます。
感情に正しい名前をつけることができれば、人はその感情を客観視し、コントロール(対処)することができます。
「今、私が感じているのは『哀愁』ではなく『ノスタルジー』に近いな」
そう自覚できるだけで、心は救われます。言葉を持つ人は、他人とより深く共感し合うことができ、何より自分自身の良き理解者でいられるのです。
語彙力の差とは、テストの点数の差ではありません。
「自分の人生を、どれだけ鮮明に味わえるか」という、感性の解像度の差なのです。
2. 判断力の差は、「選択肢の数」の差になる
人生は、生まれてから死ぬまで、選択の連続です。
この「選択」の場面において、読書量は残酷なほどの差を生みます。
【読まない人生:地図なき漂流】
本を読まない人が判断材料にするのは、主に「自分の過去の経験」と「周囲の人の意見」の2つだけです。
しかし、たかだか数十年の個人の経験や、似たような環境にいる友人の意見だけでは、サンプリング数が圧倒的に足りません。
その結果、どうなるか。
「みんながそうしているから」「なんとなく良さそうだから」「今の気分で」という、場当たり的な判断を繰り返すことになります。
これは、地図を持たずに森に入り、「なんとなくこっちが明るい気がする」と歩き回るのと同じです。失敗した時も、なぜ失敗したのかの比較対象がないため、また同じような穴に落ちてしまいます。
【読む人生:数千人の参謀を持つ】
本を読む人の頭の中には、歴史上の偉人、ビジネスの成功者、哲学の賢者、小説の主人公たちなど、数千人の人生のデータがストックされています。
何かトラブルが起きた時、脳内会議が開かれます。
「ローマ帝国の歴史に照らせば、この組織の腐敗は末期症状だ(だから逃げよう)」
「この悩みは、夏目漱石の小説で描かれていた葛藤と同じだ(だからこう乗り越えよう)」
もちろん、その都度その都度、「ローマ帝国の、、、」なんて考える人はいないでしょう笑。しかし、本で知った事例は脳の中に蓄積されていきます。そのため、具体的にどの時代の誰が何を、なんてことを知らなくてもそれは読者の血肉となっていくのです。
もちろん、私たちは自分一人の人生(シングルライフ)を生きてはいますが、本を通じて得た他人の人生(マルチライフ)の経験値を、自分のものとして使えるのです。
目の前の問題に対して、「AかBか」だけでなく、「Cという視点もある」「Dという歴史的解決策もある」と、無数のカードを切ることができます。
判断力の差とは、頭の良さではありません。
「手持ちの地図とコンパスの性能」の差なのです。
3. 10年後、二人の場所は別の惑星ほど違う
「1日数十分の読書」という小さな習慣は、今日明日は何も変えられないかもしれません。
しかし、複利の効果を侮ってはいけません。
1日数十分、言葉を磨き、判断の精度を高め続けた人と、なんとなくスマホを見て過ごした人。
1年で、知識の量は変わり、
3年で、会話の質が変わり、
5年で、顔つきや雰囲気が変わり、
10年経った頃には、二人が立っている場所は、全く別の惑星ほどに離れてしまっています。
一方は、同じ場所をグルグル回りながら「人生はつまらない、思い通りにならない」と嘆く人生。
もう一方は、高い山の上から全体を見渡し、「人生は複雑だが、攻略可能で美しい」と楽しむ人生。
「本を読む時間がない」と言うのは、「私は自分の人生の解像度を低くしたまま生きていきます」と宣言しているのと同じことです。
おわりに:いつからでも、ピントは合わせられる
少し怖い話をしてしまったかもしれません。
しかし、希望があります。それは、この「差」は生まれつきの才能ではなく、「後天的な習慣」だけで決まるということです。
今、このコラムを読んでいるあなたが、今日から一冊の本を手に取れば、その瞬間からレンズの調整は始まります。
最初はボヤけていた世界が、一冊読むごとに少しずつクリアになり、色彩を帯びてくるのを感じるはずです。
本を読む人と、読まない人。
決定的な違いは、「人生を、他人の作った粗い地図で生きるか、自分で描いた精細な地図で生きるか」です。
さあ、あなたの人生の解像度を上げるために。
今日はどんな「レンズ」を手に取りますか?
あえて、最後にこう言わせてください。
「ハンパねえ人生を生きたければ本を読め!」と。
■ 百冊堂からのご提案
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そんな方は、まずは言葉の美しさに触れるエッセイや、多様な価値観を知る古典の入門書から始めてみてはいかがでしょうか。百冊堂が、あなたの「ピント合わせ」のお手伝いをいたします。お気軽にお声掛けください。
